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ホワイトデーだよ。
くあー、ギリギリ……(←自分との約束。)


■内容■

バルアシェ現パラ高校生。
バレンタインSS→の続き。


+ + +

なんか書いているうちにだらだら書きたい病を発病して無駄に長くなりました。
こんなに長くする必要は全くないと思う。

で、えぇと。
自分の地雷は一生懸命回避した(…)んですが、もし何か、地雷を踏んでしまった方、おられましたらごめんなさい。
何かこう、イラッとしてしまわれたら、web拍手で石投げられるようにしといたのでご利用下さい。
ていうかせっかく用意したので投げてやって下さい。←

(投石期間は終了いたしました)

+ + +


校内は浮き立っていた。
学年末考査が本日を以て終了したから、だけが理由ではない。
何しろ今日は。

「アーシェ先輩ー!」
名前を呼ばれ、アーシェは階段の踊り場から階上を振り返った。日頃から仲のよい、生徒会書記の一年生が、手を振りながら下りてくる。
「パンネロ。試験の出来はどうだった?」
「うわーん、顔を合わせるなりテンション下がること言わないで下さい」
言葉と裏腹に、パンネロは何やらひどくハイテンションだ。瞳は輝き頬は紅潮し、お下げの髪もいつも以上にはねている。気がする。
「そんなことより、見て下さいよこれ! じゃじゃーん!」
ありきたりな効果音と共にパンネロが差し出したのは、手のひらサイズのお菓子の箱。
「それ、坂の下のケーキ屋さんのね」
全体に柄の入ったモスグリーンの包装紙と焦げ茶のリボン、のラッピングから見当を付けて言う。パンネロが、にこ、と笑った。
「正解です。美味しいですよね、あそこのクッキー」
「ねぇ。それって、もしかして」
水を向けると、パンネロはよくぞ聞いてくれました、とばかりに目を輝かせ頬を紅潮させ、お下げの髪をぴん、とはねさせた。気がした。
「そーなんですよ! バルフレア先輩から、バレンタインのお返し頂いちゃいました!」
きゃー、と黄色い声を上げながら、パンネロは緑色の箱を両手で包んで頬ずりする。
「バルフレア先輩、バレンタインのチョコすごく沢山もらってたし、お返しはしてもらえないだろうなって思ってたんですよ。だからビックリで嬉しいです」
「そういうところはマメな人なのよ」
「優しいですよね」
にこにこと笑うパンネロに笑い返しつつ、アーシェは密か、息を吐いた。
アイドルを追いかけるようにバルフレアを追いかけるミーハーなところは正直どうかと思うが、好きなものは好きとはっきり言える素直さは、羨ましい、と思う。一ヶ月前の自分とバルフレアのやりとりを思い出すと、頭を抱えたくなる。あれは、素直じゃない。あまりにも、素直じゃない。
あれ以来、バルフレアとはほとんど顔を合わせていない。話など、勿論していない。
一年の時は、同じクラスで名簿順も近かったから、何かと同じグループで活動することも多く、仲がいいと言っていい関係だったと思う。が、二年になって理系と文系にクラスが分かれてしまえば、呆気ないくらいに接点はなくなった。
バレンタインチョコなんて、渡すつもりもなかった。
赤やピンクのハートで飾られたバレンタインコーナーに行ったのは、女の子のイベントを楽しみましょうと主張するパンネロに強引に誘われ断りきれなかったからだし、それをあの日学校に持ってきていたのも、チョコを持ち歩くのもバレンタインの醍醐味のひとつですから絶対持ってきて下さいねと念を押されていたからだ。
そんな日、そんな状況の時に限って、二人きりで会えてしまうとは。
「そういえば、アーシェ先輩はあれ、誰かにあげました?」
アーシェのバレンタインチョコの存在を思い出したのだろう。パンネロが、キラキラした瞳で見上げてくる。苦笑しつつ、アーシェは首を振った。
「残念だけど」
アイドルのファンに向かって、そのアイドルに本命チョコを渡しましたとは言えない。というか、バルフレアは、チョコレートが苦手だと怪しげな統計を持ち出してまで主張していたのに、それを利用して無理矢理押し付けてしまったのだそういえば。
──最低。
アーシェは再び頭を抱えたくなった。
「誰にも渡さなかったんですか? ホワイトデーのお返しもらうのも楽しみなのに。……あ、私、これから待ち合わせしてるんでした」
まだ回収していないお返しがあるらしい。そういえば、バレンタインコーナーでパンネロは、随分沢山買い込んでいた気がする。
「バルフレアの他には誰にあげたの?」
訊くと、パンネロは首を傾げつつ、指折り数え始めた。
「バッシュ先生とフラン先生でしょ。それに、ラスラ先輩とかレックス先輩とか、格好いい先輩には大体。あと、仕方ないからヴァンにも」
「仕方ないからって」
人気の教師や生徒、錚々たるメンバーと一緒に並べられては、パンネロの幼馴染みも不憫だ。
苦笑しつつ言うと、パンネロはぷう、と頬を膨らませた。
「アーシェ先輩はいいですよ。ラスラ先輩みたいな格好いい人が幼馴染みなんですもん」
「家が近所なだけ。羨ましがられるようなことはないわよ。……ところで、待ち合わせの相手って?」
ふと興味が湧いて、訊く。と、パンネロが、ぽ、と頬を赤らめた。
「えっ……と。秘密ですー!」
殊更に声を張り上げて、パンネロは誤魔化すように時計を確認する。その様子に、アーシェは思わず笑みを零した。パンネロはパンネロなりに、本気のバレンタインだったらしい。
「あ、今日って生徒会ありましたっけ? 新入生歓迎会の準備とか、ありますよね」
しまった、という顔で、パンネロがアーシェを見る。アーシェは軽く首を振った。
「試験明けだもの、今日はいいわ。私も、顔だけ出してすぐ帰るつもり」
「そうですか? よかったー」
ほっと胸をなで下ろしたパンネロに、アーシェはひそ、と耳打ちする。
「頑張ってね」
「え?」
「待ち合わせの相手。本命の人なんでしょ?」
パンネロが、目をぱちりとさせた。次の瞬間、照れたように笑って、指でVサインを作る。
「頑張ります!」
手を振って階段を駆け上がっていくパンネロを見送りながら、きっとうまくいくのだろうな、と思う。
だって、パンネロは可愛い。
元気で明るくて、何より素直だ。断る相手がいるとは思えない。
明日話を聞かせてもらおう、思いつつ、アーシェは生徒会室へと向かうべく階段を下りる。
そして、気付いた。
バルフレアからのお返しを、まだもらっていない。


+ + +


「よ、会長さん。邪魔してるぜ」
生徒会室の扉を開けた瞬間声をかけられ、アーシェは思わず立ち竦んだ。
ソファに寝そべりながら漫画雑誌を読んでいたバルフレアが、アーシェを見てひらりと手を振る。
こんな光景を前にも見た。思いながら、扉を閉める。
「……バルフレア。今度は何なの?」
「何だよ。ご挨拶だな」
「あなたは生徒会の役員じゃないし、生徒会に用事があるわけでもないでしょう。勝手に生徒会室に入った挙げ句、くつろいでいるなんて言語道断だわ」
ああ、可愛くない。口にした瞬間、自己嫌悪に陥る。
バルフレアが今日この日、生徒会室にやってくる理由など、十中八九自分のために決まっている。もしかしてチョコのお返しを渡しにきてくれたの、と笑顔で訊くだけのことが、どうして出来ないのか。
悔やんだところで口から出た台詞は取り消すことなど出来ないし、そもそもそんな素直な態度は、パンネロならともかく自分には似合わない。
アーシェは精々虚勢を張り、バッグとコートを机の上に置くと、腕組みをしてバルフレアを見下ろした。バルフレアはあの日のように漫画雑誌を胸の上に置き、肩を竦める仕草をしてみせる。
「別に、用もないのに来たわけじゃないさ」
「そう、何の用事かしら。同好会の昇格申請? それとも部費の話? 来年度予算の希望はもう締め切ったけれど」
「俺が部活やってないって、知ってんだろ」
苦笑しながらバルフレアが体を起こす。と、バルフレアが枕にしていたスポーツバッグと一緒に、大きな紙袋が置いてあるのが見えた。
「その袋」
パンネロ曰く『ものすごく沢山もらっていた』チョコへのお返しを持ってきたものだろう。容易に察しが付いたが、それを悟られるのは嫌で、無表情を貫いた。楽しみにしていたのだろうなどと思われるのは癪だ。たとえ、それが事実であろうとも。
努力が実ったのか、バルフレアはからかうような様子は見せず、漫画雑誌を脇へ除けると組んだ足の上に片肘を突いた。
「決まってんだろ。今日は何の日だ?」
「3月14日ね。ということは、」
「ちょっと待て。妙な祭りだの何だのの解説はいいからな」
一ヶ月前の冗談は、どうやらお気に召さなかったらしい。アーシェはくすくす笑いながら、慌てた声を上げたバルフレアに向き直った。
「分かってるわよ。ホワイトデーでしょ? パンネロ、喜んでたわよ。あなたにお返しをもらったって」
「書記の子な。あいつ、可愛いよな」
子犬みたいで。とバルフレアは最後に付け足したのだが、それはアーシェの耳を右から左へ見事にスルーした。
男は結局、パンネロのような素直で可愛い女の子の方がいいのだ。薄々そんな予感はしていたものの、はっきり言われるとやはりショックを受ける。
「ところで、その書記さんは?」
続いたバルフレアの台詞で、アーシェのテンションは益々下がった。
残念ね、パンネロにはちゃんと本命の人がいるのよ。口にしそうになったのを、かろうじて堪える。それは、あまりに、さもしい。
「試験明けだから、今日は帰ってもらったわ。他の役員も来ないわよ。私も、一応顔を出しに寄っただけ」
「ふぅん」
「残念?」
生徒会の役員には、パンネロ以外にも、男子生徒に人気のある女子生徒がいたりする。
からかう風に言ってやると、バルフレアは、心外だ、というように片眉を上げた。
「俺は、お前を待ってたんだけど?」
どうしてそういう台詞をさらりと言えてしまうのか。
嬉しい。正直、ものすごく嬉しい。先刻自分とパンネロを比較して落ち込んだことなど、一瞬にして忘れてしまったくらいに。
ここで、嬉しいどうもありがとう、と笑顔で言えれば、万事丸く納まるのだろう。しかし、それが出来ないのがアーシェである。
理由は、当のバルフレアにある。同じクラスだった頃、彼の物事をやや斜めに見る物言いに一々反応しているうち、段々と張り合う癖が付いてしまったせいだ。
今更下手に出ることなど出来ない。下手に出るのは弱みを見せるのと同義、すなわち敗北だ。
弱みなど見せてなるものか。アーシェは、精々余裕のある笑みを浮かべてみせた。
「殊勝にも、お返しを持ってきたってわけ?」
「まぁな」
「それじゃ、謹んで頂戴するわ」
にっこり笑って、アーシェは手のひらを差し出した。アーシェをちらりと見上げ、バルフレアは掴んだ紙袋を逆さにする。
何も、落ちてこない。
「……空?」
アーシェは怪訝な顔で首を傾げた。
「あなた、朝から空気を持ち歩いていたの?」
「馬鹿言え。他の奴らにはちゃんと配ったさ」
それは事実だろう。アーシェに嫌がらせをするためだけにわざわざ空の紙袋を持ち歩くとは思えないし、現にパンネロはきちんとお返しをもらっているのだ。
「私の分は?」
お返しを渡すつもりがないのなら、そもそもここにやってきたりはしまい。
訊くと、
「それなんだがな」
バルフレアは紙袋を無造作に折り畳み、ソファの背もたれとスポーツバッグの間に突っ込んだ。
「考えたんだ」
「何を?」
問うたアーシェを一瞥し、バルフレアは勿体ぶった素振りで立ち上がった。そして、部屋の中をゆっくりと歩き始める。
「あの日お前は、チョコレートが人体に対しどれだけ危険かということを充分認識した上で、俺にチョコを渡した。そうだな?」
推理小説の探偵よろしく問い質され、アーシェは思わず吹き出した。が、バルフレアにじろりと睨まれたので、急いで表情を取り繕う。
バレンタインデーの日、苦手なチョコレートから逃れるためバルフレアが弄した詭弁──チョコレートは人体に対してこんなにも危険、という尤もらしい説に続き、今度は一体どんな論理が展開されるのか。
興味がないわけでもなかったので、アーシェはこの茶番に付き合うことにした。
「えぇ、まぁ。そうね」
「つまり、お前は俺を殺す気だった。少なくとも、死んでも構わないと思っていた」
「そういうことになるかしら」
真面目腐って答えたアーシェに、これまた真面目腐った顔でバルフレアは頷く。
「あれから一ヶ月、幸いにして俺はこうして生き長らえているが、俺にそんな仕打ちをしたお前も、同様の報いを受けて然るべきだ。そうは思わないか?」
ソファの周りをぐるりと一周し、バルフレアは再びアーシェの目の前に戻ってきた。バルフレアを見上げて、アーシェは首を傾げる。
「……それはつまり、キャンディかクッキーかマシュマロにも、チョコレートのような危険性が確認されたということかしら?」
この前振りがやりたくて、お返しを渡すのを焦らしていたのだろうか。
思って訊いたのに、しかしバルフレアは首を横に振った。
「いや。残念ながら、そういった報告は見当たらなかった」
調べたのだろうか。あくまでも真面目ぶるバルフレアを見つめつつ、彼ならやりかねない、とアーシェは思う。
さておき、紙袋が空だった理由は分かった。ありきたりのお菓子などでは、アーシェを危険に晒すことは出来ないのだ。
「じゃあ、どうするの?」
訊くと、バルフレアは徐に頷き、に、と笑みを見せた。
「こうするのさ」
言うや、アーシェの顔の横を、バルフレアの腕が通り過ぎた。
そう広くもない部屋、アーシェのすぐ背後には扉付きのロッカーが並んでいる。その扉面にバルフレアの手のひらが当たって、ばん、と音を立てた。
「心臓に負荷をかければ、きっと、死亡率が上がる」


+ + +


顔の横の腕と、その持ち主の顔と。
順に見やって、アーシェは現状を確かめた。
壁際に追い詰められて、腕の中に閉じこめられて。──これは、あれだ。漫画や小説にありがちなシチュエーション。
「心臓に負荷、って」
このシチュエーションが用いられる場面は、アーシェが思い付く限り、大きく分けて二つ。
一つは、閉じこめられた側に対して、閉じこめた側が近距離での威圧をする場合。
もう一つは、恋愛もしくはそれに近似した関係にある二人が、関係を発展させようとしている場合。
どちらにしろ、目的は一つ。
「……つまり、ドキドキさせるってこと?」
「ご明察」
生徒を褒める教師のように、バルフレアが笑う。その顔を腕組みをしつつ見上げ、アーシェは呆れた風に溜息を吐いた。
「こんなことで、私が動揺するとでも?」
「しないか?」
「するわけないじゃない」
しないわけがない。
平然と答えたその裏で、アーシェは大いに狼狽していた。
動揺、しないわけがないのだ。バルフレアの顔が、声が、体温が、こんなにも近いのに。
しかし、それを表に出すわけにはいかない。大方、得意の際どい冗談でアーシェをからかおうという魂胆なのだ。真面目に反応して動揺なんかした日には、鬼の首でも取ったかのように笑うに決まっている。
その手には乗るものか。アーシェは速くなり始めた鼓動を意識して無視し、理性を総動員して表面上の平静を装った。
「へぇ」
バルフレアが面白そうに片眉を上げる。
もう一方の腕も、ロッカーへと伸ばされた。開いていた空間が完全に塞がれて、真っ正面から向かい合う格好になる。
「これでは?」
「しないわよ」
「なら、こう」
伸ばしていた腕を折って、一歩、バルフレアが近付いた。つられて、アーシェも一歩下がる。背中がとん、とロッカーにぶつかって、はっと息を呑んだ。
手のひらで背後を探る。冷たいロッカーの扉が、すぐに触れる。
眼前に迫る、バルフレアのネクタイ。紺地に学年カラーのモスグリーン、細い銀糸のストライプ。
近い。
「会長さん?」
窺う声が降ってくる。反射的に、答えた。
「何でもないわ」
「ふぅん?」
見下ろす瞳が、僅かに細められた。その瞳から目を逸らす。バルフレアがブレザーの代わりに着ているニット、その胸元のワンポイントを見つめる。
だって、冗談のはずだ。
こんなことで、動揺などする必要はない。自分に言い聞かせ、アーシェは昂然と顔を上げた。
バルフレアが僅かに身を屈め、囁く。
「そう来なくちゃな」
これまでになく間近で聞こえた、殊更に低めた声。
アーシェは刹那、息を呑んだ。


+ + +


バルフレアとここまで接近したことが、ないわけではない。あの時は、自分の方がバルフレアの耳許に囁く側だった。
毎年秋に行われる強歩大会。去年は同じクラスだったから、数人のクラスメイトと共に、数十kmの距離を何となく一緒に歩いた。その途中で足を痛めてしまったアーシェを、バルフレアは背負ってくれたのだ。
──ごめんなさい。
あの時ばかりは、素直に何度も繰り返した。あまりに何度も言うものだから、バルフレアは最後には笑っていた。
──ばーか。役得だろ。
既にコースの大半を歩いた後でのことだ。コース中に数カ所しかない、救護係の待機しているチェックポイントまで辿り着くのは勿論無理で、数kmも行かないうちに携帯電話でSOSを発信する顛末ではあったが。
好きになったのは、あの時だったかもしれない。


+ + +


アーシェの右手に、バルフレアの左手が重なった。
耽っていた物思いから一気に現実に引き戻され、びくりと右手が跳ねる。
しまった。
思った時には既に遅く、意地悪げな声が笑う。
「どうした?」
アーシェは臍を噛んだ。そんなあからさまな反応は、バルフレアの思う壺なのに。
「どうもしないわよ」
「だよな」
バルフレアの手が、アーシェの手をそっと撫でる。それにまたどきりとして、どうせ大袈裟に反応してしまったのだ、開き直って振り払おうとしたが、逆にしっかと捕らえられてしまった。
絡め取られた手の甲が、顔の横でロッカーに押し付けられる。
「……これでは?」
繰り返される質問。
手のひらに、汗が滲む。気付かれたくなくて、せめて少しの距離を置けないかと身動いだが、それも敵わない。
「別に」
顔を背けながら、それでも頑なに言い張る。
これは、バルフレア得意の、質の悪い冗談なのだ。
動揺なんかしない。弱みは見せたくない。意地を張って済むものなら、どこまでだって張り通してやる。
けれど、
合わせた手のひら。アーシェの手を包み込む長い指に、僅か、力が込められる。
──どこまで?

残りの手も、掬い上げられた。既にそうされていたもう一方の手と同様に、顔の横でロッカーに押さえ付けられる。
もう、隔てる空間などないほどに近い。バルフレアのニットの感触が、髪を掠めて揺らす。
「──」
アーシェの両手を掴んだまま、バルフレアが僅かに動く。近付く気配に、アーシェはぎくりと身を竦ませた。
「あ」
咄嗟に身を退こうとして、けれどそこにはもう下がる余地などない。靴の踵がロッカーにぶつかる。逃げ場のないアーシェを、バルフレアは容赦なく追い詰める。
「待って」
顔を伏せて、思わず言う。バルフレアが、ぴたりと動きを止めた。
「降参か?」
頭の上に落ちてきたのは、勝利を確信した声。
その声に、カッとなる。
負けたくない。
「……誰が、降参なんか。手が痛いのよ」
「ああ。そいつは失礼」
嘘だと知っている顔。薄く笑いながら、バルフレアはそれでも手を緩めた。
ほっとしたのも束の間、視界が翳る。縫い止められた手の指先に、温かい感触が触れる。
バルフレアの唇だ。
気付いたその瞬間、どきん、と心臓が痛んだ。
「っ……」
待って。それは、もう使えない台詞だ。
小刻みに震える手を、バルフレアは締め付けはせず、けれど決して放さない。どうしようもなくて、絡める指に縋るように力を込めれば、同じだけの強さで包み込まれる。
──冗談、なのでしょう?
アーシェの困惑を見透かすように、ヘーゼルグリーンが覗き込む。耳許を、吐息が掠める。
どきん、どきん、どきん。心臓の音がうるさい。
もう十分でしょう。心の内で叫ぶ。
もう、普段では有り得ないくらい心臓を酷使した。目的は果たしたはずだ。
多少の嫌味な台詞には目を瞑る。
だから、もう、

「お前さ」
ふと、バルフレアが囁いた。
いつの間にかきつく閉じていた瞳を開いて、視線を上げる。
「俺が、最後の最後には、やめると思ってるだろ」
見上げたバルフレアは笑っていない。アーシェは、我知らず息を詰めた。
「この期に及んで冗談だと思ってるなら、認識を改めた方がいいぜ」
「……何ですって?」
だって、冗談、だったはずだ。
際どい冗談でアーシェを困惑させて、そうして笑うつもりだったはずだ。
なのに、いつの間にそうではなくなった?
「分かってるよな。お前がそう意地を張ってると、俺はもっと強烈なことをしなけりゃならない」
分からない。どこで間違えたのだろう。
宣告が、どうも耳に入らない。分かるのは、ただ一つ。
バルフレアは、あくまでアーシェに白旗を揚げろと言うのだ。
冗談じゃない。

「……そんなこと言って。怖じ気づいたの? 私に先に降参させようとしても、そうは」
いかないんだから。
言葉は、途中で途切れた。手の甲が、強くロッカーに押し付けられる。
がたん、と、ロッカーが鳴った。


+ + +


走馬燈というのは、こんな感じなのだろうか。
違うだろうな、とすぐに思う。走馬燈は過去の出来事が流れるというけれど、今のこれは違う。ただ、感覚が濃密なだけだ。
背中に、ロッカーの硬い感触。廊下を誰かが歩いていく音。室内のとは温度の違う、どこからか吹き込む隙間風。ロッカーに押し付けられた手の甲が冷たい。手のひらは熱いのに。じり、バルフレアの靴が細かな砂利を踏んで、けれどアーシェは動けない。ぎし、とロッカーが軋む。窓から差し込む太陽の光が、雲に遮られて僅かに翳る。バルフレアが、ゆっくりと瞬く。長い睫。猫の目のような瞳。

「……目ぐらい閉じろよ」
ふと、バルフレアが言った。急に、全ての感覚が遠離る。バルフレアとの間隔も、いつの間にか、触れそうなほどに近い距離ではなくて一歩分程の空間があいていた。
『目ぐらい閉じろよ』?
何故?
「──」
バルフレアの顔を改めて見つめた瞬間、かくん、と膝から力が抜けた。
「っ、おい?」
バルフレアが、慌てた声を上げてアーシェの腕を掴んだ。が、支えきれず、アーシェはそのまま床にへたり込む。
息を吐きながら、バルフレアはアーシェの目線に合わせてしゃがみ込んだ。
「おい。会長さん?」
呆然としているアーシェの目の前で、バルフレアが手のひらを振る。それに気付いて、アーシェは視線をはっと揺らした。
「……」
無言。
のまま、アーシェは視線を泳がせて手のひらで唇を覆う。
「……お前」
胡乱げに眉を顰め、バルフレアは、アーシェの顔を覗き込んだ。
「もしかして。……初めてか?」
「!」
指摘に、アーシェはかあ、と顔を赤らめた。
唇を押さえる手が、肩が、ふるふると小刻みに震える。
「……信じ、られない……本当にするなんて」
唇を押さえたまま、わなわなと呟く。バルフレアが、む、と眉を上げた。
「煽ったのはお前だろうが」
「何よ。私が悪いの?」
「俺はちゃんと忠告しただろ。冗談だと思ったならお前の見通しが甘かったってことだし、分かってて挑発したなら自業自得だ」
正論を吐かれ、アーシェはぐ、と詰まった。
「……だからって」
ファーストキスだ。女の子なら誰だって夢見る、特別な、一大イベントだ。
それが、こんな、わけの分からないままにあっさりと。
「……信じられない」
呻いて、顔を伏せた両手の中に、溜息を吐く。バルフレアが、やはり溜息を吐いたのが聞こえた。
機嫌を損ねたアーシェを鬱陶しがっているのだろうか。しかしそれは、一体誰のせいだ。
何だか無性に悔しくなって、涙が滲みそうになる。
と、髪に、ぽん、と手のひらが載った。
「──返品は出来ねぇけど。嫌だったなら、謝る」
落とされた声に、目を瞠る。今まで、彼が頭を下げたことなどあっただろうか。
呆然としていた間の沈黙を拒絶と受け取ったのか、バルフレアは小さく息を吐きながら立ち上がろうとした。髪から、手のひらが離れていく。
その手を、アーシェは急いで引き留めた。
「──」
嫌だったわけじゃない。
突然のことに驚いただけで、嫌だったわけではないのだ。
けれど、それを素直に言えば、バルフレアはきっとまた図に乗る。そんなにひどく怒っているわけではないと伝えつつ、しっかり反省を促すことの出来る、都合のいい言葉はないだろうか?
探しているうち、こちらを見下ろすバルフレアと目が合った。
──また、間違えた。
そんなことを思う。
大事なのは後半部分なのに、前半部分だけが伝わってしまったようだ。
安堵したように息を吐いて、バルフレアは嬉しそうに笑う。
「待って」
伸ばされた手を急いで振り払って、アーシェはバルフレアを制した。
「……待って」
興奮した野生動物が飛びかかってこないように。手のひらを向けて、そんな慎重さで、繰り返す。
そんな空気を察したのかはたまた単に制されたのが気に入らなかっただけか、バルフレアが、不機嫌そうに瞳を細めた。
「何で」
「駄目よ」
「何が」
「駄目なの」
「だから、何で」
「何でじゃないわ」
他でどれだけ流されても、ここだけは妥協できない。
きっ、と顔を上げる。勢いに慄いたのか、バルフレアは僅か、仰け反った。
「大体、順番が違うのよ」
「……順番?」
「行動に出る前に、言うべきことがあるでしょう」
「言うこと?」
「あなた、私のことどう思ってるの?」
膝立ちの仁王立ちで、バルフレアに人差し指を突き付ける。と、
「は?」
バルフレアが、ぽかん、とした顔でアーシェを見た。
「……何だ、今更」
「今更? 今正に、現在進行形で、大事な問題じゃないの」
「分かってなかったのか?」
「いつどこに、分かる道理があったって言うのよ」
「お前、どれだけ鈍いんだ?」
「失礼ね。あなたこそ、どれだけ高慢なの? 何も言わないで、理解は相手任せ?」
「言葉じゃなく態度で示す主義なんだ」
「ひとりよがりね。生憎だけど、ちっとも伝わってないわ」
「ふぅん?」
バルフレアが、床に膝を突き、体をアーシェの方に乗り出した。咄嗟にじり、と体を退いたアーシェの退路は、伸ばされたバルフレアの腕で断たれる。
「だったら、分かるまで何度でも」
そっと手を取られ、背中が再度ロッカーにぶつかる。そこに至って、アーシェはバルフレアの意図を察した。
「ちょっ……待って。やめて頂戴」
取られた手を振り払い、両腕を顔の前で交差させる。バルフレアが、不満そうに唇を曲げた。
「何で」
「駄目って言ったじゃない」
「だから何でだよ。話なら、もう済んだだろうが」
「あれで済ませたつもりなの? 独善的にも程があるわ。大体、」
頭がくらくらする。
呼吸はままならないし、体温調節もどうもうまくいかない。心臓は、限界はどこへやらの異常なテンポで跳ねている。
この上また、抱き締められたりそれ以上のことをされたりしたら。
「……本当に死んだら、どうするのよ!」
真っ赤な顔で言ったアーシェを、バルフレアがまじまじと見つめた。
その唇から、く、と笑い声が漏れる。
「安心しろ。キスの人体への安全性は、人類200万年の歴史で保証されてるさ」
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